悪名高き油條

f:id:Lima_Charlie:20190429010635j:plain

台湾の朝食店で見かける「油條」。

先日台湾人の友人から油條にはずるい人間、悪賢い人という意味もあると教えられました。

 

さっそく辞書で「油條」の項を調べると、次のように記載されていました。

也叫「油炸果(兒)」,是一種油炸的發酵食。

(「油炸果(兒)」とも言い、油で揚げた発酵小麦粉食品)

富有社會經驗、精明而狡猾的人。也叫「老油條」「老油子」。

(社会経験が豊富で、頭が切れるがずるがしこい人の比喩。「老油條」や「老油子」とも言う)

出典:『新編國語日報辭典』

 

日本語の表現としては「古狸」が近いようですが、この油條について調べてみると、かなり黒い生い立ちがありました。

 

北方の金との関係について主戦派と講和派が争っていた南宋初期の1141年。

講和派の代表格であった宰相・秦檜が主戦派の代表格で、民衆の絶大な人気を得ていた武将・岳飛に無実の罪を着せて謀殺するという政治的事件がありました。

その粛清には当時から疑問があったらしく、謀反の罪をいぶかしがる声に秦檜は「莫須有(あったかもしれない)」と答えたと伝わっています。秦檜の奸臣ぶりは後世にも伝わり、明代に岳飛廟の前に罪人の姿をした秦檜夫婦の像が据えられ、そこへ唾を吐きかけることが最近まで続くほど、その悪名は時代を超えて伝わっています。

 

岳飛が謀殺されたことが巷間に広く伝わると、都が置かれた臨安(現在の杭州)で燒餅を商っていた王小二という人が憤懣やるかたなく、秦檜とその妻の王氏を見立てた2つの人型の生地を背中合わせにして油で揚げ、「油炸檜哦(油で秦檜の野郎を釜茹でにしてやっているぞ)」と叫びながら、怒りを晴らしたとのことです。後に2つの人型の生地は2本の長い生地へと変わり、全国各地に伝わり、今の油條となりました。

 

ちなみに以前に熱炒店(台湾風居酒屋)でメニューを見ていた時に「秦檜鬥包公」という料理がありました。

f:id:Lima_Charlie:20190429002406j:plain

料理名からすると、悪名高い宰相・秦檜と清廉潔白で民衆の人気が高く、顔が黒かったと伝わる包公こと、北宋の官吏・包拯を戦わせるという、「遠山の金さん」のような勧善懲悪劇を料理で見立てるかのような奇抜な料理名だったのですが、出てきたものは10㎝ほどにカットされた油條に皮蛋を刻んだものでした。すなわち秦檜を油條に、包公を皮蛋にそれぞれ仮託させてできた料理でした。

 f:id:Lima_Charlie:20190429003517j:image

さて本題の「油條=ずるい人間、悪賢い人」という意味。

「秦檜鬥包公」という料理名からうかがえるように、油條はその由来から秦檜を暗示するものでもありました。そしてその秦檜は奸臣として評価されていました。すなわち秦檜を媒介に油條は演繹的に「ずるい人間、悪賢い人」という意味を得るに至ったのだと思います。