冬とは関係ないの

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日本での春雨は、台湾では「冬粉/dong fen」と言ったりします。

 

ところで、なぜ「冬」という字を使うのか。

冬に作られるからという誤解もあったみたいですが、春雨はもともと中国の山東省が発祥のようで、山東省で生産された春雨は港のある龙口から世界各地へ輸出されていました。

山東省以外のところでは、この春雨のことを「山東粉」と呼んでいましたが、それが「東粉」と略され、後に「東」の部分を音が似通っている「冬」に置き換わって、今日の「冬粉」となったようです。

 

ちなみに「春雨」は、日本で初めて製造した業者が 製造過程でじょうろ状の穴から押し出されてくる時の様子が透き通って細いことから春の雨の雨筋を連想させるということで、「春雨」と名付けられたようです。

 

冬と春

どちらも季節を表す字を入れているところがおもしろいところです

チャンスはないのよ

同僚とのおしゃべりの中で「彼女はきっと『死會』だよ」と出てきました。

この「死會」という単語の意味が分からなかったので、辞書をめくっても出てこず、どうも台湾特有の言い回しかネットスラングのようです。

 

「教育部臺灣台語常用詞辭典」には次のように解説されていました。

 

1.名詞 由會員共同組成的儲蓄會,定期集會,繳納會款,每次輪願意付出最高利息的人標得該期會款。可分為內標與外標兩種形式。其中已經得標的會員稱為「死會」。

(会員が相互に構成する貯蓄会で、定期的に集会を開き、会費を支払い、毎回最高の利息を支払いたい人がその会の会費を得ることができる。内標(これまで会費支払いを得たことのない人の会費総額を得られる方法)と外標(会費支払いの受け取りの有無にかかわらず、規定の会費の総額を得られる方法)の2種類に分けられる。その中で会費を得た会員を「死會」という。)

2.形容詞 指已結婚、訂婚或有固定男女朋友的人。

(結婚、婚約、決まった恋人がいることを指す)

 

出典:教育部臺灣台語常用詞辭典

sutian.moe.edu.tw

 

このことからこの会話における「死會」とは「相手(恋人)がいる」という意味が分かりました。

 

ただ無尽講みたいな組織由来の言葉が「相手(恋人)がいる」という意味になぜ変わったのか?

さらに調べてみると、あるブログに配当を得られていない会員は次回以降配当を得られるチャンスがある一方で、配当をすでに得た会員はもう配当を得られるチャンスがないという意味で「死會」が用いられているとのことでした。

 

出典:「死會」正真的意思及由來

 

こうした由来を踏まえると、「死會」は「相手(恋人)がいる」という意味だけではなく、「相手(恋人)がいるからチャンスがないよ」と、チャンスがないという意味を付加、強調する形で使われているようです。

正しき港に本物あり

あるベテラン女優さんのプロフィールを見ていたら、「正港」という字が出てきました。

 

教育部の「臺灣閩南語常用詞辭典」では、こう説明されています。

指正宗道地的,非冒名的。

(正真正銘の本物、偽物ではないということを指す)

"正港 tsiànn-káng" - 臺灣閩南語常用詞辭典

 

すなわち「本物」という意味とのこと。

 

1683年に清朝が台湾を領有化した後、中台間の交易を行うことができる港を公式に定め、検査、課税をしました。

恐らく明朝以来の海禁政策の一環でしょうが、このように公式に認定された港のことを「正口」または「正港」と言われていました。

 

海上交通が今ほど発達しておらず、海禁政策により交易が制限されていた中では、交易品は必然的に高級品となったため、密輸品も出回りました。そのため指定の交易港から輸入された交易品は正規の交易品ということで、「正港的」と言われるようになりました。

その意味、用法が拡大され、本物、正統、正真正銘という意味に転じていきました。

 

「言葉にも歴史あり」ということでしょうか。

 

【参考】

正港(tsiãʟ-kaŋˋ)──真正 | 臺灣話的語源與理據(劉建仁著)

台灣地名真相:為什麼北港在南部,南港在北部?-風傳媒

https://nrch.culture.tw/twpedia.aspx?id=3627

黄身エリア

ネットニュースを見ていたら「蛋黃區」という単語がありました。

 

日本語にすると、「黄身エリア」

 

調べてみると、都市中心部の繁華街や商業集積地、交通アクセスがいいなど、いわゆる地価の高いところを指しているようです。

 

もとはテレビ局の中の言い方だったようで、逆に「蛋白區」(白身エリア)というエリアもあるようです。

 

参考:https://blog.housetube.tw/3540

ザ・台湾のおばちゃん~林美秀

夕べ放映された「路〜台湾エクスプレス〜」、ご覧になったでしょうか。

 

オープニングに出てきたやかましいおばちゃん。

いかにも台湾のおばちゃんという感じですが、「台湾料理屋のおばちゃん」という役名で演じられているのは林美秀さんという女優さんで、台湾のおばちゃんの代表的なイメージとして台湾の映画やドラマでよく出演されている方です。

映画「ママは日本へ嫁に行っちゃダメと言うけれど」でも台湾料理屋のママで出演していましたし、最近ではUber EatsのCMでほぼ毎日お見かけします。

youtu.be

youtu.be

 

1967年生まれの宜蘭県羅東出身。

主に舞台で活躍されていましたが、のど飴のCMに出演したことで、活躍の場をドラマや映画などへ広げていった方です。

彼女の演劇の実力は確かで、何度も助演女優賞を受賞している素晴らしい女優さんです。

 

おばちゃんらしい快活なしゃべり方だけではなく、ちょこちょこ台湾語も交えて話すので、彼女が出てくると、一気に場面がにぎやかになります。

 

中国語が聞き取れる方はどのあたりが台湾語か注意して聞いてみるとおもしろいですよ。

留職停薪

コロナウィルスの影響で、台湾の経済界も少なからず影響を受けています。

その関係で「留職停薪」という用語を見かけるようになりました。

 

この用語について教育部の『重編國語辭典修訂本』では次のように説明がされています。

受雇者因應徵入伍、出國進修等因素,保留職務,停止支薪。

被雇用者が兵役や国外留学などを理由として、職位を保留するとともに給与の支払いを停止すること。

http://dict.revised.moe.edu.tw/cgi-bin/cbdic/gsweb.cgi?o=dcbdic&searchid=Z00000063571

 

日本とは労働制度が異なるので、なかなかぴったりの翻訳がないのですが、「給与の支払いを伴わない一時帰休」という日本語訳がベターだと思います。

控はフェチ

ネットサーフィンをしていたら、抹茶控など「○○控」という表現を見かけました。

 

「○○控」は英語のcomplexの音訳で「○○依存症/愛好家」という意味です。

 

もともとがネットスラングらしいのですが、「○○フェチ」という訳し方がいいでしょうか。

社会の窓はダムのこと

男性ズボンのチャックが閉まっていない時、やんわかと「社会の窓が.....」と言いますが、なぜ社会の窓と言うのかというと、昭和23年から昭和35年まで放送されていたNHKのラジオ番組「インフォメーションアワー・社会の窓」が由来とのこと。

この番組は社会の隠された問題を探るという内容だったらしく、見えない部分が明らかになる部分にひっかけて、男性ズボンのチャックを「社会の窓」という言うようになったのだとか。

 

このデリケートな部分、台湾では「你的石門水庫沒關」とか、「你的石門水庫沒關好」と、「あなたの石門ダムがまだしまっていませんよ」というようです。

 

ここでいう「石門水庫」とは、桃園市と新竹県にまたがる、台湾最初の多用途ダムで、かつては極東一とうたわれていました。

ちなみに建設工事自体は戦後に始められましたが、計画そのものは戦前からあり、烏山頭ダムの建築に関与した八田与一も携わっていたとのことです。

 

閑話休題

 

諸説あるようですが、あるミスコンで「チャックが閉まっていないことに気づいた時、あなたならどうしますか」という質問に対して、ある参加者が「私なら、あなたの石門ダムがしっかり閉じていないですよと言います」という答えたからというのが一般的に知られている説だそうです。

 

大分古い話なので、真偽のほどは藪の中ですが、社会の窓をダムに例えるとは、全く言い得て妙です。

 

「跨ぐ」か、「過ごす」か

何年も台湾に住んでいるのに、今さらで恥ずかしい限りですが、新年を迎えるという表現について、「跨年」と「過年」の2つがあると気づきました。

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実は使い方もうまく分かれていて、「跨年」は新年を迎える際に、「過年」は旧正月を迎える際に使われるようです。

 

またそこから醸し出される印象も違い、「跨年」は友人と過ごすクリスマスのような楽しい印象、過年は家族が集まる温かい印象という感じを受けます。

 

それぞれイベント的な印象と民俗風習的な印象を感じますが、昨年も触れた通り、新年の迎え方について時間感覚・暦感覚が日本人とは異なるようです。

 

「跨」という字は何かを足で(その何かに接触せずに)越えるという英語のbeyondに近い印象が、「過」という字は何かを通り過ぎる(突き抜けていく)という英語のthroughに近い印象がそれぞれあります。

 

ここでは「接触」がポイントになるかと思いますが、そこから「跨年」は「過年」とはどこか冷めた感じがします。

確かに台湾での生活における肌感覚として、「跨年」は日常生活の延長上にあり、「過年」は年が改まるという緊張感や期待があります。

 

このように新年を迎える気分が台湾と日本で違うのは、明らかに旧暦(農暦)の扱いによるものです。

日本では、明治維新以降、政府は新暦(グレゴリオ暦)の徹底を図ってきました。また日本の産業構造の中心が農業以外に移ったことで、農作業とも密接な関係にある旧暦が必要とされなくなったと思われます。

他方で中華圏は日本よりも農業から工業への基幹産業の移行が遅かったことが世間のニーズとして旧暦が必要とされたと思います。

また暦の制定は長らく政権君主の専権事項という思想が残存しているため、西洋文明の定めるグレゴリオ暦は受け入れられなかったということも考えられますが、社会の近代化が日本よりも緩やかだったことが旧暦に基づいた生活がまだ残っているのかもしれません。

冬至と言えば

今日は冬至。

 

今年も例年通り紅豆湯圓をいただきました。

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旧暦で初めて満月が出る元宵節とともに湯圓を食べる冬至。

なぜ冬至に湯圓を食べるかについて、特集がありました。

jp.taiwantoday.tw