110年の流浪の先

今年も七腳川部落の豊年祭に参加してきました。

その際に七腳川部落の南方にある壽豐で七腳川事件110周年を回顧する展示があるとのことで、現在までに続く七腳川事件の影響を学ぶために足を運んできました。

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アイデンティティの喪失と模索

 

そんな言葉しか見つからないほど、七腳川事件の影響は現在でも強く尾を引いています。

 

 

【年齢階級】

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アミ族では、一般的にselalという年齢層別グループが形成され、生活に必要な知恵や伝統文化を伝承する場、部落運営・防衛の基礎単位として機能しています。七腳川社では7つのselal(元来は8つ、後に7つ)が形成され、8年ごとに最年長のselalが引退し、そのグループ名を最若手に受け継がれるという仕組みでした。

強制移住後でもこの年齢階級は構築されましたが、中間層のselalを欠いているなどを理由として、移住先によって失われたところもあります。

 

【伝統文化の継承】
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台北などの大都市に職を求める若者が増え、伝統行事の運営などに影響が及んでいるという問題は様々な原住民部落に共通してみられる問題ですが、七腳川社にルーツを持つ部落はさらに深刻です。

移住者が多かった光榮部落は伝統文化が比較的保存されているとのことで、他の七腳川社系部落が伝統の発掘・継承のために積極的に訪ねているとのことです。しかし豊年祭のMalalikiという舞踊の際に手をどうつなぐかということ(malalikid)は部族としての結束の強さを示すものですが、そのつなぎ方や踊りの際の歌の意味もあやふやになっているとの指摘があります。伝統文化の形式的な継承だけではなく、それぞれの側面が意味するところをどう継承するかが今後の課題となっていきそうです。

 

【血縁的なつながり】

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七腳川社の住民は事件により離散しました。その中であるいはその後の生活の中で血縁的なつながりも分断あるいは風化していき、誰がどこの親戚かが分かりづらくなってきました。

そのため結婚の際には近親婚のタブーを避けるため、出身やルーツなどを細かく確認することが行われると聞きました。タブーを侵さないかのためにルーツを確認する必要があるほど、血縁的なつながりが比較的希薄になってしまったようです。

 

七腳川事件により、血縁としてのルーツ、部族内で共有していた文化や言語、そしてアイデンティティの風化がネガティブな側面が現在まで影響しています。

 

今回豊年祭に参加した七腳川部落では、2004年に「七腳川」という部落名とAlemetという年齢階級を復活させました。以来七腳川社の伝統文化の発掘や七腳川社の系譜にある部落とのつながりを積極的に行い、2012年より現在のような豊年祭の様式が整ったとのことです。しかし伝統の発掘と継承はいまだにその途上にあると言えます。

 

伝統の忘却、風化の恐ろしさ、伝統再生の困難さ、そして伝統継承の重要さを、七腳川系部落の取り組みが静かに語っています。

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